フォトレポート トピックス

フォトレポートでは2011.3.11以降に心に残る地域での出来事などをフォトアルバムとして公開しています。

2016年度のフォトレポートはしばしお待ちを!
こちらでもご覧いただけます。2016年度活動履歴

 

2015年7月30日

★塩谷の恋蛍

~ 栃木県さくら市塩谷 ~

 

 栃木県さくら市は勝山城址の桜・鬼怒川堤防の桜堤が有名な氏家町と、県道佐久山・喜連川線の桜並木・お丸山公園の桜が親しまれてきた喜連川町が平成17年3月に合併し誕生しました。 前年の調印式ではさくら市の名付け親の小学生3名に認定証が手渡され、日本さくら協会から200本の苗木が贈られたそうです。何より両町の市民は桜とともに季節を感じ美しい街への深い想い入れがあるのでしょう。

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・塩谷の源氏蛍を守る会  水無月の頃、蛍が乱舞し、その揺らぎの発光は日本人の遠い記憶を呼び起こすのでしょうか身を置く真っ暗な空間から ふと、別世界に連れていかれる感じがしませんか。そして、何より癒されます。 「 蛍 」。 誰もが知る「蛍の光」も時代の変遷にあっては歌詞が変わったこともあり、日本人の哀愁を感じるもの。世相が変われば、ひとの命の灯と捉えられたり はたまた、江戸時代の蛍狩りに代表されるような風流な嗜みとなったり 様々な場面に登場する蛍は、これまで日本の生活にしっかりと根差した風物詩といえます。

 しかし、時代が進み都市部が整備され始めたころ、地元に水の恩恵をもたらす身近な河川も整備され、護岸はコンクリートで埋め立てられ、水生生物の生ける環境ではなくなったことで、蛍が遠くの存在になったような気がします。
  全国名水百選の認定を受けた清冽な湧水群である尚仁沢湧水を擁する さくら市の塩谷で、地元の大切な心の故郷である源氏蛍を守ろうという取り組みを実施する「塩谷の源氏蛍を守る会」の代表の齋藤民雄さんは、JAに勤務する傍ら、町硬式テニス部長や町体育指導員等を務めていましたが、偶然、ナイタ-の帰りに発見した 「源氏蛍」をテニス部員有志と共に保護活動を行って来られたそうです。会勢も100名を超え、町の公認組織として認知されながら地域の将来を担う子どもたちに、開発された環境を無駄にすることなく、後世に残すべき環境として動植物との共生をめざし活動されています。

・ご当地ソング「塩谷の恋蛍」  これまでディレクターやプロデューサーとして様々なTVCMを手掛けてこられた、三浦道郎さんがどのようにして塩谷の源氏ボタルに出会われたのか、またどのようなきっかけで地元の想いを歌で綴られたご当地ソング「塩谷の恋蛍」として世に出されたのか、知る由もありませんが 塩谷の方々の想いが人を寄せ、人と人との出会いが醸成した結果なのでしょう 塩谷の上寺島活性化施設・名水の郷交流館には2010年に発表された「塩谷の恋蛍」の看板があり、源氏蛍の保護地域には「塩谷の恋蛍」の碑があります。 そのご当地ソングを歌うのは 劇団新派の俳優でもある 歌手 山吹恭子さん。ご当地ソングシンガーである山吹恭子さんは、JAしおのやの「JAしおのや農産物PR大使」を務めておられるようで、当地のイベントなどにも参加され、訪問されることが多いようです。
 JAしおのや は、変わりゆく営農・生活指導対策の強化や、経営基盤の強化、そして組合員のニーズに対応した事業機能を備えるとともに、自己責任経営の可能なJAづくりをめざして、2市2町(さくら市・矢板市・塩谷郡塩谷町・塩谷郡高根沢町)を対象として、平成10年3月に広域のJAが合併し設立されました。  前出の「塩谷の源氏蛍を守る会」の代表の齋藤民雄さんは JAしおのや営農部の部長さんとして、多彩で活力のある地域農業の振興への貢献されています。

 ここで見て取れるのは、源氏ボタルの保護を通じた地域の人たちへの環境啓蒙活動は、大切な農業資源である「水」を守ることに通じ、さらに農家の経営環境整備への布石なのかも知れません。 さらに、「塩谷の恋蛍」をご当地ソングとすることで、広く市民にも親しまれながらの環境教育として故郷に根差す取り組みとも言えるでしょう。  さて、山吹恭子さんが新曲「ひまわりの涙~愛のひとしずく~」を2014年に発表されました。その歌詞を拝見すると、はるかちゃんの事を憂うような歌詞なのです。 震災から19年目の2014年に発表された歌が「 はるかのひまわり 」 をモチーフにして作られたのなら嬉しいことです。
 阪神淡路大震災から20年という時間の経過は、体現した私たちにとっては昨日の出来事のようですが、今年成人した青年にとっては薄れゆく過去の出来事なのかもしれません。しかし、何より 私たちはその教訓を風化させてはならないと考えています。

  「 決して忘れない 」 そういう意味でもこの新曲が歌われるのは有難いことです。  

 そんな歌が持つ思いを汲み取られたのでしょうか JAしおのや営農部園芸課 課長の阿久津さんより、2014年に種のリクエストをいただきました。 生育の そのときどきに写真を投稿くださり、5月24日に育った苗を前に集合され、手作りの一文字看板を持ったJAしおのや の絆プロジェクトの皆さんの素敵な笑顔が忘れられません。 また、種の収穫の様子と共に里帰りもいただきました。 今年(2015年)も5月24日、昨年より一層大きな一文字看板を手に苗植え前に集合されたプロジェクトメンバーの皆さんの写真を投稿してくださいました。「は る か の ひ ま わ り 絆 プ ロ ジェ クト VOL. 2」もちろん「絆」の看板を持つのは・・・そう、その通り” 齋藤民雄 ”部長だったのです。 今回の取材では様々な事がわかりました。 人と人との接点の不思議。 故郷を憂う思いと 具現化への行動 点と点が結びつくことでの拡がり 気づきが行動を生み、 その行動を継続しながら理念にまで高め、成文化したとき その行動への賛同が生まれると同時に 多くの絆が生まれ始めるのだと このたびの取材では、月末のお忙しい折にお伺いしたのにもかかわらず、有志メンバーの皆さんに集っていただき、さらにご案内いただき誠にありがとうございました。 
次回の訪問では、ぜひ「塩谷の恋蛍」に出会いたいものです。

今後も素敵なふるさとづくりに取り組まれ 絆プロジェクトのVol数がますます増えますように!

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2015年7月30日

★古山のかかし祭り
~ 栃木県下野市 星宮神社 ~

 (こやまのかかしまつり)星宮神社
※かかし祭りは毎年8月です。

 

 

 伊勢の神宮を本宗と仰ぐ全国約80,000社を包括する宗教法人である神社本庁の地方機関である栃木神社庁に属する神社です。 

藤原鎌足公十代の後裔飛鳥井刑部卿が開拓司として同地に居住し、大同2年4月10日に、地方鎮守の神様として磐裂神、根裂神をお祀りしたのが始まりとされます。

(大同暦2年=ユリウス暦807年)

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下野市は県の中南部に位置し、北に県庁所在地の宇都宮市、南に第2の人口を誇る小山市、西に栃木市に囲まれ、市内の東には鬼怒川と田川、西には思川と姿川が流れる高低差のあまりない開けた平坦で安定した地域で、年間平均気温も14℃と温暖で冬場も積雪などもなくとても住みやすい地域です。 JR宇都宮線の自治医大駅を中心にニュータウンによる新市街地が拡がり、まさにベッドタウンとして、市外での就業や就学する市民の安らぎの街なのでしょう。

さて、今年で9回目を迎える 「古山のかかし祭り」 は星宮神社の参道に市民が制作したかかしを展示し、多くの人が集うことで町の賑わいを取り戻そうとする取り組みです。 星宮神社の作物の被害を避ける風よけの祭りであった「風日際」の行事を多くの市民や子どもたちに参加してほしいとの思いで、神社を事務局として地域の方々と創り上げてきたお祭りです。 この春に 古山かかしまつり実行委員会の小林様からお手紙でご依頼をいただき、はるかのひまわりの種をお送りしました。 その後、参道に隣接する土地を借り受け、地域の子供たちとともに苗の植え付けをされたとのお便りが届きました。 どんなお祭りなのか、なぜ向日葵なのか、その想いをお聞きしたくてお邪魔することにしました。

当日は朝7時にお約束し、神社で宮司の小林 靖さんと かかしまつりの実行委員会の山口貴明さんにお会いしました。
実は事前にGoogle MAPのストリートビューでどんなところだろうと 調べていたのですが なんと!そこには巨大なトトロがいたんです。 キャー!!( *´艸`) 断然訪問するのが楽しみになり、ワクワクしながら前泊した小山市から車を走らせました。(私は 超弩級の方向音痴で、しかもレンタカーのカーナビ操作がうまくできず10分ほど遅れてしまい恐縮です)

まずは、ご参加いただいた御礼とともに、はるかのひまわり絆プロジェクトの成り立ちやその想いをお伝えしました。
はるかのひまわり、をお知りになったきっかけは 昨年 下野市立石橋小学校で、はるかのひまわりが育てられ、収穫したその種を色とりどりの風船に10粒づつ取り付けて、「届いた地が笑顔になるように全国に届け!」 との思いで、全校児童541人が飛ばした取り組みを知ったことだそうです。 石橋小学校へ届けられた種は、東日本大震災の年に神戸から宮城県石巻市に届けられ、地元の方々の手で大切に育てられた種が、震災から2年後に 当時救援ヘリで石巻の人々を救出した栃木県小山市の消防隊員に贈られ、地元の小山第三中学校で育てられた種が石橋小学校へ譲られたものです。 関わった方々の様々な想いを内に秘めた種が、多くの人の手から手へとリレーされてきたのです。 

地元故郷の希薄になったコミュニティを復興再生したいとの想いは、やはり将来の故郷を担い その活力の源泉である子どもたち姿を取り戻すことなのだと 古山のかかし祭りに集う市民の皆さんを 心豊かな向日葵でお迎えしたいとの思いでご応募いただいたとの事でした。 また、かかし祭りの本祭では ひまわりに関するワークショップも企画しており はるかのひまわりの由来を伝えたり 祭りの後も種を配布する企画を検討されているとの事でした。

お話の後は、お目当てのトトロとご対面!
なんと! トトロのお腹に入れます。 お腹の中から森のトンネルを抜けると 神社に到着。映画を髣髴とさせる仕掛けです。このトトロもかかし祭りで作られたとの事で、実はちゃんと走るネコバスも最近まであったとのこと。 あぁ~残念!
参道沿いには、一般のひまわりと、一段と背が高いはるかのひまわり、とが しっかりと成長していました。

さて、今回はかかし祭りの前の訪問でしたので かかしも 本祭もどうだったのかとても気になっておりましたが、山口貴明さんから、その様子をお知らせいただきました。 お盆頃に咲き始めた向日葵畑では 毎日のように車を止め撮影されるなど 地域の注目の的になっていたようです。
37体のユニークなかかし達が参道に展示され、8月23日の本祭には 多くの市民と子どもたちが集い とても盛況だったとのこと。 祭りでのイベントで演者がスズメバチに刺され救急車のお世話になったそうですが ^^; 子どもたちのためのワークショップも開催され楽しい祭りとなったようです。

神々を身近な存在として、目には見えない畏敬の情を肌で感じてきた日本人にあって、 時代の変遷は、職住一体であった生活の場が変わり 暮らし方を変えてきました。 そして、自然に育まれた命の尊さを、その尊厳を希薄にしてきたのではないでしょうか
神社を拠り所とした生の営みを 子どもたちの行く末を憂う思いから、彼らを主役にした取り組みを行う事で、地域が集い 子どもたちが集まり 永々と続けてこられた司祭に携わる大人の背中を通じて 子どもたちに、命を尊ぶ心。さらに人と人との繋がりの大切さを内面化してゆく地域づくり。 このように、はるかのひまわりが地域再生やその活性化に活用され、将来の日本を担う子どもたちに それぞれの想いが内面化され心豊かな故郷 心豊かな日本を創造することは まさに絆プロジェクトの理念に沿った素敵な取り組みだと思うのです。

はるかのひまわりが 古山の夏のランドマークとなり 古山のかかし祭りが 豊作の願いとともに、子どもたちの心の成長への願いを込めて継続され 地域の暮らしが人と人との絆で結ばれ 益々素敵な故郷となりますように!

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2015年7月29~30日

★栃木県小山市の取り組み

北関東圏の栃木県第二の都市である小山市は県南部に位置し、北関東を流れる利根川水系の一級河川である渡良瀬川の支流の思川(おもいがわ)が市の中心を流れる。 低地からこの思川を臨むと小さな山の形をしている様子が小山の地名の起源だとする説があり、1000年前の歴史書にもその名が記されています。

また、思川に加え市の東には田川や鬼怒川が流れ、それらの豊富な水資源は、農業はもとより、市民への供給とともに工業や商業などの源泉となっています。
首都からも程近く、東北新幹線・宇都宮線・両毛線・水戸線の路線を擁し、北関東の玄関口としての役割を担いながら、歴史の深さとともに自然と商工業の共生が住む人を魅了する小山は、過去40年で3割の人口増加を果たす約16万6千人の街です。

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 JR小山駅の東に位置し、市内でも人口増加率の最も高い地区にあり、約900名の生徒を擁する小山第三中学校では3年目となる「はるかのひまわり絆プロジェクト」が行われていました。

近年、人口増加に伴い小山三中では生徒数も急増し、様々な問題や課題を抱えていたようです。 人口流入によって従来から暮らす人たちと、新たな住民との生活慣習の違いや価値観の相違による葛藤があるのかもしれませんが、 何より心が揺れ動く思春期には思いもしない問題が起こるものです。
  近年 学校内で起こる出来事は学校で解決するべきだという不文律がなかっただろうか? 責任を学校に押し付けた結果、問題を表面化させない力が働くことで、本来解決できるはずの出来事が、悲しい結末を迎える報道が後を絶たない。
  現在の学校の原点は、明治維新後の学制の発布に遡る。住民自らがお金を出し合って学校を作り、教師を招聘して子どもたちへの教えを乞うたその姿は、我が故郷の将来を担う子どもたちを、地域づくりの源泉として、総力をあげて守り育てる決意そのものだったはず。
悪循環に陥った小山三中を救ったのは、まさに地域住民だったようです。三支会(さんしかい)と呼ばれるその組織は、小山三中を支える応援団。 厳しさに定評のあった元教諭を校長として迎え、校長が新たに実施する取り組みを支え、現場で子どもたちと対面する教師を支え、もちろん生徒たちを支えるために地域住民自らが作ったのです。
 さらに、教支会と銘打ちPTAや住民と先生方との交流会が立ち上がったことは、誤解や疑心暗鬼を根絶し、信頼し会える関係性を醸成し、さらに先生方の社会性の豊かさを育む結果となったようです。 今回、その事務局を担う小林正典さんと熱く語り合えました。

小山三中が「はるかのひまわり」の種に出会ったきっかけは、東日本大震災から3日後に遡ります。
小山消防本部の防災ヘリが石巻市街に飛来し、次々と取り残された被災者を救出しました。そこには副隊長として救助の指揮を執っていた根本真澄さんの後姿がありました。救助された阿部かつ江さんは寒風に晒され震える身体を強張らせながら制服に書かれた「小山消防」とヘルメットの名前を覚えようとしていました。

2年後。阿部かつ江さんは一つの節目として、救助の任にあたった小山消防へお礼の手紙と共に、復興と再生の象徴として心をこめて育てた「はるかのひまわり」の種を同封しました。
根本真澄さんは綴られた文字を追いながら当時を鮮明に思い出していました。 今でも非番にヘリコプターの音を聞くと言い知れない不安に駆られるという根本さんは、2年という時間を過ごした阿部さんに想いを馳せ、同封された小さな種に込められた想いを感じ取りました。 その種は子どもの母校である小山三中に持ち込みました。小山三中は被災地から届いた種を通じて「命の尊さ」「人との繋がり」の大切さを学ぶために、学内のJRC委員会や美化委員会が中心となり全校で育てることを決めました。(JRC:青少年赤十字)
さらに根本さんは、消防本部や分署でひまわりを育てはじめました。その翌年には消防署を通じて市内の全小中学校へ届けられ、育てられているとの事です。 また、消防本部が主催する「市消防フェア2014」では「はるかのひまわり」のブースを設け、パネル展示とともに市消防オリジナルパッケージで種を配布されました。

栃木ボランティア団体 YAMBEを主催する速水英幸さんは東日本大震災を目の当たりにし、自分たちもなにかやらなくては・・・「なんかやんべ」を合言葉に東日本被災地支援の団体を立ち上げ、炊き出しや子どもたちの心の支援活動などを実施しています。
  その活動目標は10年継続。言葉にしてしまえば短く簡単なようですが、他府県の支援活動を長期間にわたって行うのは並大抵のことではありません。被災地と団体が、支援し支援される、という関係から、第二の里帰りになるほどの関係性を持つとともに、活動されるメンバーの方々との家族をも超える関係性が、その志を前へと進めるのでしょう。小山三中と小山市立大谷北小学校への種ということで当時リクエストをいただきました。 当日はお名刺を頂いた瞬間にYAMBEの事を思い出し、本当に繋がっているんだなぁとつくづく感じた次第です。

さて、栃木県への訪問は一本のメールによる依頼でした。
根本真澄さんへ訪問の趣旨を連絡させていただき、7月29日の午後7時に小山駅前のホテルで待ち合わせとなりました。 兵庫の神戸空港から茨木空港へ、その後レンタカーで小山へ向かいました。根本さん、小林さん、速水さんに出迎えていただき、その夜は時間を忘れ語り合いました。
全く初めての対面でしたが、いつもながら30分もすると古くからの友人のように感じてしまいます。 それは、プロジェクト理念を理解し、何より故郷を愛し、誰よりも次世代を担う子どもたちの将来性を信じ、人との繋がりの不思議さを体験し、絆とは何なのかを知った私たちだからこそ、杯を重ねるごとに昔からの知古であることを疑わなくなるのです。

翌日は非番の根本さんにご案内いただき、分署に咲く「はるかのひまわり」と対面し、小山三中へ
小山三中では当時、頻繁にメールでのやりとりをしていたご担当の先生ともお会いしました。また、学校より2013年のプロジェクトの全てをダイジェストしたビデオを頂戴しました。 
その後、小山消防本部を表敬訪問し、根本さんに見送られながら次の取材地へ向かうことになりました。  

今回の栃木訪問は根本さんにお会いし、お話をお聞きしたい一心でしたが、小林さんと速水さんにお会いし、すべての全貌が明らかになり、点と点が線で繋がり、スッキリと気持ちが晴れました。  さらに、石巻の阿部かつ江さんにお会いしたいという想いが益々募ることになった事を付け加えておきます。

 

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 2015年7月20日

★視察レポート

兵庫県香美町おじろスキー場の取り組みをご紹介いたします。

 

日本海を擁する香美町の山間に位置する小代区におじろスキー場はあります。

 

香美町は6500世帯19260人の人口で、人口減は否めないもののここ20年で、若年層が増えているのは見逃せない香美町にあって 小代区は山間にあり、棚田の風景の素晴らしさ、神戸ビーフの故郷 但馬牛の畜産。さらに町民みんなでおもてなしの~残酷なのに、笑顔になるマラソン大会。その名も「残酷マラソン」など「日本で最も美しい村」を標榜する素敵な故郷です。

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 スキー場の経営は、冬場の積雪期間である3ヶ月で年間を賄い、オフの期間は設備のメンテナンスに費やすという季節産業です。だからこそオフシーズンの職員の雇用の確保は困難であるという現実があります。
しかし、おじろスキー場では昨年から夏場の期間に自然の素晴らしさを提供しながら、雇用を増やし確保する挑戦をはじめました。

『 香美町小代 ひまわりパーク 』

夏場に、涼しいゲレンデを様々な”ひまわり”で埋め尽くし、訪問する人たちを迎え、小さな子供のいるご家族やカップル。観光で香美町を訪れる方々に”ひとときの素敵な時間”をお届けする挑戦を始めました。
そんな折にご依頼いただいた種のリクエスト。
”はるかのひまわり絆プロジェクト”ご参加いただき、購入された向日葵の種と共にお育ていただき、秋には、はるかのひまわりの種を収穫され、開花のお写真とともに里帰りしていただきました。その開花写真を見た瞬間 来年は必ず訪れたいと強く心に思いました。

今年のひまわりパークは7月18日にオープンされました。 早速7月20日に家族とともに訪問することにしました。
神戸市から車での訪問でしたが、高速道路や有料道路が切れ目なく接続されたお陰で、実質2時間で到着します。 も(ちろん目的地までにPAや道の駅などに寄りながらの小旅行でしたが・・・)  

まず驚かされたのは、大きなゴンドラとその道程。山を2つ超えたところにあるゲレンデまで2km。スリル満点の約10分間でした。 ゴンドラステーションにつくとそこはどこまでも続く緑の芝生の絨毯。そこには沢山の向日葵が群生していました。

鑑賞しながら、涼しくて気持ちのよい空気感を堪能した後、昨年リクエストをいただいた「増田 大作」さんを探すことに、今回は突然の訪問でしたので心配でしたが、とてもラッキーな事に初めて声をお掛けした方がご本人でした。

お忙しいところ、スタッフルームにご案内いただき色々とお話をお聞きしました。 この取組みが冒頭にご紹介した 職員の雇用確保の取り組みであること。 取り組むスタッフが植物を育てることが初めてであること。購入した種による向日葵と比べ、はるかのひまわり、の生育や収穫した種が おじろスキー場にとても適していたこと。 また、昨年開花した場所に自然に落ちた種から元気よく生育し開花したこと。 今年は、はるかのひまわり、の植栽場所を大きく拡げたこと。 また、芝生への植栽についてのご苦労や技術的なお話など、思い入れの深さとともに昨年から始められたとは思えないプロフェッショナルなお話でした。

はるかのひまわりの案内看板もお作りいただき、時に来園された方が知っておられたり、興味を持ってご覧いただけているなど 嬉しいお話もお聞かせいただきました。

残念ながら、はるかの開花はこれからのようでしたが しっかりとスキー場に根付き、小代の方々の心に根付き 素敵な故郷を作られることを願いながら再訪を楽しみに小代を後にしました。  

お忙しい中ご対応いただいた 増田大作さん 昨年の本当にリクエストのご本人 太田垣 収さん お世話になりました。 日本で最も美しい村 に根付く はるかの笑顔を見に 必ず再訪いたします。 ありがとうございました。


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2014年10月31日

★東京都府中市では2014年度に市政60周年に際し、継続できる取り組みとして「はるかのひまわり絆プロジェクト」への参加を採択され、市民の皆さんとともにお育ていただき、夏に大輪が開花しました。このプロジェクトでは、市役所が様々な市民イベントで種を配布され、市民の皆さんへお届けし、開花した様子を写真に撮り、絵本の表紙を作る取り組みも行われ多くの皆さんが参加されました。 下の写真をズームしていただくと府中の皆さんと笑顔がご覧いただけます。 こ~んな素敵な取り組みを行う府中市から目が離せませんね ありがとうございます!

2013年8月25日

★視察レポート
鳥取県「鳴り石の浜プロジェクト」の取り組みをご紹介いたします。

 


鳥取県琴浦町赤碕にある「鳴り石の浜」は悠久の自然が織りなす故郷の貴重な財産です。数十万年前の大山の噴火により特徴づけられた稀有な浜で、礫岩が時を経て丸くなり波の満ち干きに合わせて砂のように転がり心やすらぐ音を為します。しかも浜から海へ数キロにわたっての海底に敷き詰められ、季節によって波風の強い琴浦の浜は様相を変えるのだと、五十年にわたり毎日欠かさず海に潜り続け、故郷の海を観察してきた「鳴り石の浜」の番人、岩田弘さんは語ります。

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琴浦町は東の県庁所在市である鳥取市と西の主要都市である米子市との中間にある自然の恵み豊かで風光明媚な人口1万九千の街です。北は日本海。南は大山を擁し、海の恵みと稀有な立地による'強風'という自然の力は、サーフィンの格好の場であり、風力発電という自然由来エネルギーの源泉としても有名です。
しかしながら、近接する山陰道中山・名和道路の整備に伴い主要幹線道路であった国道9号線を擁する琴浦町へのアクセスの減少などが予想されることから、地元住民グループによって「鳴り石の浜プロジェクト」が結成されました。

同プロジェクトは、何より地元故郷の稀有な財産である「鳴り石の浜」の保全と観光拠点としての施設の整備。さらに地域振興のためのイベントやPRグッズなどの企画販売なども手がけます。施設は鳴り石の浜に隣接した国道9号線の空き店舗を購入し、プロジェクト拠点にするとともに貸しスペースとして、地元主婦のボランティアグループ「鳴り石友の会」が週末金曜土曜に地産地消の限定手作りランチを提供したり、結婚式が行われたりと、時として様相を変えながらステキな地域コミュニティースペースとして機能しているようです。

また、自然遺産の保全と地域観光資源としての活用などを支援する行政の動きも活発のようです。鳥取県として鳴り石の浜への安全なアクセスのための遊歩道の整備や観光看板の設置などの予算が採択され、プロジェクトメンバーの志高い活動は施設の改善や素敵なテラスの設置なども実施。さらに、施設と浜の間にあった雑木林を整備し花壇とする計画の中で「はるかのひまわり絆プロジェクト」の理念に共感いただき、復興再生のシンボルである、はるかのひまわり、を咲かせていただく事になりました。

昨年の夏に、岩手県陸前高田市の滝の里工業団地仮設住宅の皆さんが心をこめて育てられ、大輪の花を咲かせた、はるかのひまわり、の種をお送りさせていただき、はるかのひまわり、の命の連鎖とともにこの度の東北大震災の被災地にも思いを馳せていただく事となり、鳴り石の浜プロジェクトメンバーが自宅で育てた苗を7月1日に琴の浦高等特別支援学校の皆さんや地元の皆さんと共に1500本を植栽されました。

この度、ぜひとも視察させていただきたいと連絡させていただき豪雨の前日からカラリと晴れた鳴り石の浜を訪問させていただきました。道中はこの地域の特徴である黒い釉薬瓦の家々が陽の光を得て輝くさまを見ながら、心を踊らせておりました。 浜の番人、岩田さん、プロジェクトリーダーの馬野さん、コアメンバーで発信拠点、さらに今回、はるかのひまわり絆プロジェクト、にご応募いただいた上田さんにお出迎えいただき、撮影とともに色々なお話をお聞かせいただきました。お話の途中に、なんと24時間テレビの取材が来られ、ひまわりの取材となり何より充実した時間を過ごさせていただきました。この場を借りて感謝申し上げます。

お話の中で関西から移住されるIターンの受け入れもされるという琴浦町の懐の深さもさることながら、一般的な理解としての鳥取砂丘に比する観光地としての可能性を大いに感じながら、琴ノ浦歴史街道や、なにより琴浦グルメストリートに後ろ髪を引っ張られながら帰路につくこととなりました。ぜひとも近いうちにゆっくりと観光訪問したいものです。

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2013年8月14日

★視察レポート
鹿児島県阿久根市の「三十来組」みどこいぐみ、の取り組みをご紹介します。

 


阿久根市は鹿児島県の北西部に位置し、漁場豊かな東シナ海に面した40kmの及ぶ海岸線を持ちウミガメなどが産卵のために訪れます。温暖で自然の豊かさを活かした農産物の阿久根ボンタンが有名です。

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阿久根市では昭和26年より地元小学校の卒業者を対象に50歳になったら帰省し地元故郷の運動会に参加するのを機会に、同窓生が一同に会しお互いの無事を喜び、 亡師・亡友の慰霊を行うとともに、旧交を温め、連帯感を深める同窓会として阿久根市特有の伝統である「華の50歳組」という取り組みがあります。

しかし、現在の10,500世帯22,700人の人口も過疎化への流れが進展しています。 それを憂いた阿久根在住の30歳を迎える有志が「華の50歳組」の例に習い、今年30歳を迎える阿久根の中学校4校の卒業生約300名に呼びかけ、今年初めに「三十来組:みどこいぐみ」、が発足しました。「みどこい」というのは阿久根の方言で「見所:みどころ」という意味も持ち、まさに故郷阿久根を再確認しようとの想いも見て取れます。

一般的に中学校の同窓会はあるものの、他校の卒業生との繋がりはありません。もちろん阿久根でも同様でしたが、阿久根伝統の「華の50歳組」の例に習いすべての中学卒業生に呼びかけを行い、発足後に阿久根の中学卒業の同年代として初めての出会いも多く、会を重ねるごとに仲良くなってきたと言います。もちろん県外で暮らす卒業生も多く、関東組、関西組さらに福岡組なども発足したそうです。
三十来組は今年30を迎える私達が故郷阿久根に対し何ができるのかから考え始めたそうです。 その過程で復興再生のシンボルとしての「はるかのひまわり絆プロジェクト」の理念に共感していただきました。

その動きはfacobookの「三十来組」グループの投稿を、リアルタイムで驚きながら拝見させていただいておりました。苗を育て、草を刈り、植え付けをし、苗を配り、地域や学校などの賛同や協力を得、鉄道会社や国土交通省に申請し、水をやり、配慮しながら開花をレポートされるなどその底力に、毎日が驚きの連続でした。同窓生が益々仲良くなる、おちゃめな姿も見て取れました。

阿久根市の全ての小学校(9校)、中学校(4校)、総合運動公園、自治会や子ども会、肥後おれんじ鉄道駅舎周辺、国道3号線の数キロにわたって、市内の交差点や企業や個人宅などいたるところで咲き誇り、どれだけの人数が関わったのでしょうか?想像だにできません。地元の広報誌や新聞、市のホームページなどにも広く紹介され、その取り組みは内外に勇気と希望を与えたのではないでしょうか 8月12日に「華の50歳組」の例に習い運動会を開催し広く親睦を深めたようで、次回は1月2日の集いを計画されています。今後、はるかのひまわりの種の収穫などを通じて、継続した取り組みとして後輩などとの交流の機会とされるようです。

この「三十来組」の取り組みの継続は、地元故郷を今一度振り返ると共に自らの成長過程で築いた「絆」を更に膨らませ、人の繋がりを点から線へ、線から面へと進化してゆく様を見せてくれるでしょう。そして故郷と人をを愛する面となった力が「故郷阿久根」を再生復興させる源泉となるのだと確信しました。

今回出会った3名の三十来組の牟田さん、早瀬さん、倉田さんは卒業中学校も違うメンバーでしたが、故郷を思う気持ちの熱さは誰よりも負けないでしょう。 お世話になりましたことを改めて感謝申し上げます。

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2013年6月4日

鹿児島県阿久根市の地域再生を願う想いを、次世代を担う子どもたちと共に、はるかのひまわり、の育成と街全体での開花に取り組まれる地元中学卒業の同窓グループからお便りが来ました。 

その想いと行動力に勇気づけられます。   


~お便り一部ご紹介~  

  私が住む鹿児島県阿久根市という町は人口約22000人の小さな町です。 人口は年々減少し、高齢化率も高いのが現状です。 そのような状況から、町の企業や商店街なども年々減少し、少しずつ町の活気もなくなってきております。学生を終えると市外に就職していく人も多く、地元に定着する若者も非常に少ないです。


しかし、町には山、海と豊かな自然に囲まれ、人情溢れる素晴らしい町だと私は自負しております。 そこで、今一度、私たち世代が郷土の素晴らしさを再確認するため同窓会を開催し、多くの同級生と郷土に集まり町への恩返しをしたいと同時に、後輩たちが郷土の素晴らしさを忘れることなく大人になってほしいと願い、子供たちと一緒に町を元気づけることができないかと考えていました。


そして、私が考えたのが、向日葵を子供たちと育て町いっぱいに咲かせることができたら、少しでも町を明るく元気にできるのでは。と思い向日葵の情報を調べていたところ、【はるかのひまわり絆プロジェクト】に出会いご連絡させていただきました。

市内の小学校9校、中学校4校と生徒の皆さんのご自宅でお育ていただくこととなります。 


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今後の街の姿に注目したいと思います。  また、今回お送りした大量の種につきましては、岩手県陸前高田市竹駒町の滝の里仮設住宅の皆さんが昨年育てられたひまわりロードの種を提供させて頂きました。  ありがとうございます!


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2013年2月16日

2年を経た東北大震災での立ち止まった人生の時を動かそうと、はるかちゃんへの手紙に託された想いを果たすために、仙台市のO様の代理でお参りをしてまいりました。 2年という月日は被災地では昨日のことのようだと思います。また、津波で被災された街の復興は遥かな時間の経過が必要なのかもしれません。 確かにその過程で立ち止まってしまうのもしかたのない事かもしれません。 ぜひ、はるかのひまわり、の生育と収穫、さらに配布という1年の時間を次の1年へと紡いでいただきたいのです。

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2013年1月20日

NPO法人IMMC主催の第74回こどものためのコンサート。 1月20日午後より北野工房のまち3階講堂で行われました。最後の演奏はIMMCマミーズブラスの伴奏による「しあわせ運べるように」を参加の皆さんと合唱しました。その後、藤野芳雄さんから頂いた”はるかのひまわり”を配布しました。

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2013年1月7日 18年目の5時46分

あの日から18年。 長いようで短く感じるのは鮮明な記憶があるから。 3.11も2年という月日が経とうとしています。 、想いよりそう、そんな活動をめざしたいと思います。

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★東北炊き出し&はるかのひまわりロード in 南三陸平成の森★
2012年7月21日

 全国の個人有志「サポートチーム絆」による南三陸平成の森仮設住宅の皆さんとの交流イベントを開催しました。 陸前高田 滝の里工業団地仮設住宅の有志の皆さんによる、あんかけパスタブースの運営の実現をめざし、被災地内の交流による絆の醸成を目的に、平成の森仮設住宅自治会の皆さんとの協働による交流会が実現できました。 平成の森仮設住宅の皆さんと滝の里工業団地仮設住宅の皆さんの笑顔を糧に全国の個人支援者が集い楽しい交流会が行われました。

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2012.7.20-22 

岩手県花巻→山田町→釜石→陸前高田→宮城県気仙沼→南三陸→石巻

東北のひまわりの視察に行ってまいりました。

希望のひまわりとして、陸前高田でもひまわりロードが出来そうです。 岩手県陸前高田 滝の里工業団地仮設住宅から奇跡の一本松までの道路にこの夏に大きく開花するでしょう。
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2011年12月9日 神戸市立だいち小学校より
★お手紙と栽培委員会だよりとともに立派な種が帰ってきました。

本校の児童全員で、楽しく育て、夏にはたくさんのはなが咲き、子ども達もとても喜んでおりました。 ひまわりと背を比べて、「すごいなぁ」と喜んでいる1年生、「東北にも届けたいなぁ」と見つめていた6年生、子どもにとって、命や人とのかかわりについて考えるきっかけとなっていました。  秋になり、栽培委員会の子ども達で種を収穫しました。 来年、子どもの思いと共に東北被災地に届けていただけることを楽しみにしております。

2011年10月4日

★岩手県より次世代のはるかの種が届きました。
 お手紙とお写真。さらに地域の自治体の広報誌が同封されていました。それは、「東日本大震災の記録」~後世に残し伝えるために~ と題し、被災状況や被災直後の陸上自衛隊の真摯な働き、徐々に復旧が進んでいく姿とそれを支えあう住民の姿が克明に映し出されていました。
<お手紙ご紹介>
 初めまして、私は今回の東日本大震災を体験し、色々な思いがあります。そして今、復興へ向けて町全体が一つになり、絆を強めがんばっております。私の家の前は瓦礫の山です。
父親の家で、はるかさんのひまわりの種を見つけた時。絶対はるかさんのため、私の咲かせたいと思う強い願いに種を植えました。 そして、波が通った土で力強く咲いてくれました。本当にきれいでした。来年も咲かせてみようと思います。

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2011.8.20-21 

石巻~南三陸町~気仙沼~陸前高田 三陸ひまわりロード視察記録

有志を募り、被災地の希望の花となった、国道45号線に南三陸ひまわりロードの視察と三陸ひまわりの会の皆さんとお会いしました。
東北の惨状を心に刻みつけるとともに、参加メンバー一同 心の支援の必要性を痛感した次第です。

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2011年5月25日(水) 快晴

大阪府 金谷様より (管理人が代理で掲載)
 23日に植えるつもりが大雨で2日遅れとなりました。  はるか保育園の園児たちとひまわりの種を蒔きました。 はるかのひまわりを「はるか保育園」の園児たちが種を蒔く♪ 何とも不思議な組み合わせです! すごいでしょう! 
 朝から準備に大忙し!

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2011年5月22日 宮城県南三陸町

新潟のメンバー柳さんと有志の皆さんが、5月22日に気仙沼ソレイユの丘でのひまわりロードの一斉種蒔きに参加されました。

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